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越後妻有のおみやげからみえたもの

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越後妻有アートトリエンナーレが9/14で終了。

数年前から、気にはなっていたイベントだったけど今回ほど行けなかった、行かなかったことを後悔
したことはない。

行きたかったのである。

というのも、ちょうど8月末くらいのNHK日曜美術館でこのイベントの特集があり
ただ流して見ていて、たしかなにかをしながら見ていたのだけれども、ある瞬間
TVに目が釘付けになったのである。

越後妻有というところは新潟の中でも、過疎が進んでいてお年寄りと誰も住んでいない
廃墟の家屋が増えている。
その廃墟と化した家屋の中にアーティストとそのお年寄りたちと
一緒に作品を完成させ展示しているという風景。

「待ち針でつくった蜘蛛の巣など」のアート

かつて針仕事はおばあちゃんたちの得意仕事。
私も亡き祖母の針仕事をしている姿が浮かんでくる。

おばあちゃんたちは、「アート」ということをどこまで理解しているのかわからない。
けれども、若いアーティストと一緒に楽しそうに作品をつくっている様子が映る。

このような風景・様子が次々に映し出されていく。

最近、仕事でもデザイン業界でも特に思うこと。

「デザイン」ってちゃんと一般の人たちに伝わってますか ?

ということ。

デザインイベントなんかでも毎回終わったあと、虚しさが残るのは
結局そこに集まった人たちはおおよそ「デザイン」に携わる人たちがほとんどだったのではないか?

デザイナーがデザイナーたちで、デザイナーたちをとりまく環境に対してだけ
発信していないか ?

そもそも「デザイン」の役割って、誰のためのもの ?

そういう最近の私の「?」を知り合いのデザイナーアシスタントさんに、怒涛のように
話してしまった・・。ちょっと後悔した。
でも、知ってほしくて。。

そのアシスタントの彼女は、「越後妻有の最終日に行くんです」と言っていた。

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すっかり忘れていた最近、彼女に会った。
「お土産です」といただいたのは、かわいいパッケージの
「はっか糖」

私が気に入っていたという「待ち針アート」は残念ながら見つけられなかったと
言っていたけど、やっぱり行ってよかったと言う。
気付くと私の仕事関係のまわりの何人かがみな、足を運んでいた。。

みんな、それぞれの感想を聞いてみたい。

ひとりでも、私が思う最近の「?」に対するヒントを共感してきてくれる人が
いたらうれしい。

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でも、ほんとはこういうことをわざわざ改めて言うことではないのかもしれない。
わざわざ、気付くことではないのだから。

「はっか糖」の箱、そして中身。
なんて自然な可愛さ、キレイさなんだろう。
デザインなんて意識されない馴染んでくる心地よさがある。

なにかヒントをくれていることは確か。
心地よさ、気持ちよさ、うれしさ、楽しさ、
こんな感情がふわっと湧いてくる環境になっていけば、なにも
「デザイン」なんて言葉の呪縛にとりつかれて悩む必要もないのだ。

「デザイン」関係に携わる私たちが、一般に上記の感情を自然に持ち合わせている
人たちに伝えられる「共通言語」「共有できる環境」を持ち合わせていけたら
それが答えなんだと思う。

明らかに、越後妻有の待ち針アートをつくっていたアーティストとおばあちゃんたちの
間にはそれがあったはず !
by htani1223 | 2009-09-26 22:51 | デザイン(全般)
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